随筆(第35篇)謹賀新年に代えて、絶望と希望のエッセイを

2023年の年始め。お正月には凧上げて、コマを回して遊びたいけれど。私には上げる凧も無ければ、回すコマも持っていない。だがここに紙と鉛筆がある。だから私は、新年から随筆を紡いでいく。

注:今回は頭を空っぽにして気軽に読むイメージじゃないかもです。

今回のコメンテーター

ツッコミ役かつ話が散らかりそうな時の纏め役を担う謎のキャラ。他のRPG風キャラと異なり職業等のキャラ付けは特にない。

私は冬至と言う日が好きだ。2022年の冬至は12/22。私はその日に冬至へのありったけの想いを語る随筆を書こうとしており、自分のスマホのカレンダーにも「冬至 サイト更新」と予定登録していた。だが何やかんやで書けずじまいだった。

今さら冬至について語ったところで誰も何も得しないので詳述はしないが、冬至は一年で最も日照時間が短くなる日。逆に言うとこれ以上日照時間は短くならず、ここからは長くなっていくターニングポイントでもある。底打ちと言った意味合いで、希望を感じることが出来る。

「これから日が長くなる」と思うと何だかうれしくはありますね。

そこに「希望」を感じるのです。

翻って人生と言うものを考えると、人生には底が見えない。辛い目にあって先が見えなくなっても、「あ、ここが底だな」と言うポイントは存在せず、従って「後は這い上がっていくだけ」と言ったターニングポイントは特定できないことも多い。成功者の経験談などを聞くとあたかもそれが存在するかのように錯覚する時があるが、それは後からわかるもの。今どん底にいる人間にとっては、それが本当にどん底なのか、まだ堕ちるスペースが有るのかわからない。

だがそんな時にでも、やれることはある。それは、「やれることをやる」と言うことだ。心身ともに疲れ果ててしまって、何の気力も沸かないならば休息をとるのもよいだろう。それも「やれること」だ。そもそも結局人間と言うものは、どんなに良い状況でも悪い状況でも、「やれること」を一つずつ積み重ねることしか出来ない。だがそれによって、底は見えなくても浮力を働かせることは出来る。

そして少しでもその”浮力”を実感出来れば、まずはそのことに満足すればよいと思う。「幸せ」の概念についていろんな人がいろんなことを言っているけれど、私は「成功に向かうベクトルが働いている時に幸せを感じ、失敗へ向かうベクトルが働いている時に不幸を感じる」と言う考え方がしっくりくる。私が冬至を好きな理由も、まさにそこにある。

この考え方を当てはめて考えると、将来への不安や栄光からの転落、打破できない現状などが不幸と感じる要因。人にはそれぞれ目指す目標とか夢とかあると思うけれど、「到達点」との距離感は直接は関係ない。そこに向かって今どんなベクトルで自分が動いているのか、あるいは動いていないのかを感じることによって、人は絶望や希望を見出すのだと思う。

どんな状況にあっても今やれることを少しずつ積み重ねていくことしか出来ないが、それをやることで浮力を少しでも感じることが出来れば、私はそれを「希望」と呼んでよいと思う。

2023年もきっと激動の一年。いいことも悪いこともあるだろう。休むもよし、進むもよし。それぞれの人たちがそれぞれ、ひとかけらの希望を胸に航海を続けていくことを願って、新年のご挨拶としたい。

今年もよろしくお願いいたします!

飛躍の年にしましょう!うさぎ年なので

今後とも精進する。


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